広島地方裁判所 昭和62年(ワ)280号 判決 1993年9月20日
原告
甲野一郎
右訴訟代理人弁護士
小笠豊
亡浅田成也訴訟承継人被告兼被告
浅田清子
亡浅田成也訴訟承継人被告
柏崎るみ子
亡浅田成也訴訟承継人被告
浅田護
右被告三名訴訟代理人弁護士
秋山光明
新谷昭治
大元孝次
饗庭忠男
被告
大日本製薬株式会社
右代表者代表取締役
藤原冨男
右訴訟代理人弁護士
石井通洋
間石成人
被告
日本チバガイギー株式会社
右代表者代表取締役
ピー・ドゥドラー
右訴訟代理人弁護士
稲垣喬
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 被告浅田清子、同大日本製薬株式会社及び同日本チバガイギー株式会社は、連帯して原告に対し、金一億三〇〇〇万円及びこれに対する昭和六一年四月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告柏崎るみ子及び同浅田護は、前記三名の被告と連帯して原告に対し、各自三二五〇万円及びこれに対する昭和六一年四月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、原告が、精神障害による入院中に投与を受けた向精神薬の副作用によって失明したとして、入院先の精神病院で診療に当たった医師及びその相続人に対し、不法行為又は医療契約上の債務不履行に基づいて、右向精神薬を製造・販売していた製薬会社に対し、不法行為に基づいて、それぞれ損害賠償を求めている事案である。
一 基本的事実関係
1 原告
原告は、昭和四二年七月七日生の男子である。昭和五八年三月、中学校を卒業後、いくつかの職を転々とした後、昭和六〇年七月に陸上自衛隊に入隊した。そして、山口及び海田所在の教育大隊において所定の教育課程を終了し、昭和六一年二月一日付をもって、陸上自衛隊第四六普通科連隊第二中隊に所属することとなった。
(原告と被告浅田清子、同柏崎るみ子、同浅田護[以下、この三者を一括して「被告浅田ら」という。]及び被告日本チバガイギー株式会社[以下「被告チバガイギー」という。]との間では争いがなく、被告大日本製薬株式会社[以下「被告大日本製薬」という。]との間では、同被告が明らかに争わないので、自白したものとみなす。)
2 浅田病院
亡浅田成也(訴訟継承前の被告。以下「成也医師」という。)及び被告浅田清子(以下「清子医師」ともいう。)は、ともに精神科の医師であり、かつ、夫婦である。成也医師は、昭和六一年以前から、広島市において、精神科を専門とする浅田病院を開業していた。同病院の常勤の医師は、院長である成也医師と副院長の清子医師の二名であり、他に非常勤の医師一名が診療に当たっていた。
(当事者間に争いがない。)
なお、成也医師は、本訴係属後の昭和六二年四月二一日に死亡した。同医師の相続人は、妻である清子医師と、子である被告柏崎るみ子(長女)及び同浅田護(長男)であり、この三名が成也医師の訴訟上の地位を継承した。
(弁論の全趣旨)
3 浅田病院における診療及び向精神薬の投与
(一) 原告は、昭和六一年二月七日、上官に付き添われて浅田病院外来に受診し、成也医師により診察(初診)及び投薬を受け、更に、同月一二日、上官及び母親とともに同病院外来に再来し、診察の結果、母親の同意の下に即日入院となった。
以後、原告は、同年四月二一日に国立療養所賀茂病院(以下「賀茂病院」という。)に転院するまでの間、同病院において、成也医師及び清子医師が共同で診療に当たった。
(原告と被告浅田らと及び被告チバガイギーとの間では争いがなく、被告大日本製薬との間では同被告が明らかに争わないので、自白したものとみなす。)
(二) 成也医師は、初診時の原告の症状として、「もうろう状態」と診断したが、母親が同行していなかったことなどから、当日に入院させることなく、しばらく通院治療により原告の経過を観察することとし、原告に対して、ジアゼパム(精神安定剤)、ハルシオン(催眠鎮静剤)、ニトラゼパム(睡眠誘導剤)、フェノバール(催眠・鎮静剤)を、七日分処方した(別表「向精神薬の処方並びに処方変更日と変更内容」参照。)。
(三) 成也医師は、再診時における診察の結果、原告を「もうろう状態・病的心因反応」と診断し(なお、浅田病院における最終診断名は「非定型精神障害」である。)、前記のとおり原告を即日入院させた。
同病院入院中に観察された原告の精神症状に対して、昭和六一年四月一五日までの間に投与された薬剤は、前記した初診時のものを含めて別表記載のとおりである(同表記載の薬品のうち、ジアゼパム及びセルシンは、ジアゼパムという一般名称で総称される同一有効成分の薬剤であり、セレネース、ブロトポン及びケセランは、ハロペリドールという一般名称で総称される同一有効成分の薬剤である。なお、同表に特別の記載のない場合は、錠剤の一日当たりの投与量を示し、月日欄に記載の日から処方が変更されたことを示している。)。
(四) また、成也医師及び清子医師は、入院中の原告の精神症状に対応する処遇として、昭和六一年二月一二日から同年三月一五日まで、同月一七日から同月一九日まで及び同月二二日から同年四月一〇日まで、それぞれ原告を保護室に収容する措置をとり(同年三月一日までは保護室内において四肢拘束の措置をとった。ただし、この間、数日間は短時間四肢拘束を解いている。同月二日からは、原則として四肢拘束を解き、更に、同月八日からは、昼間は保護室から解放して夕方のみ保護室に収容した。)、同年四月一一日から同月二一日の退院までは、一般病棟において治療した。
(五) 入院期間中の同年三月二〇日、清子医師は、原告の全身に発疹が出ていることを認め、この症状がこれまで投与した薬剤の副作用によるものではないかと疑問を持ち、同日、テグレトールの投与を中止した。しかし、その後も全身の発疹が治まらず、更に、同年四月一五日には突然に高熱を発するなど原告の全身状態は極めて悪化した。そこで、浅田病院の医師は、同日、フェノバールによる副作用の可能性をも疑って、その投与を中止し、これに代わる向精神薬の処方を行った。
なお、フェノバールは、フェノバルビタールという一般名称を有する催眠・鎮静・抗けいれん剤で、副作用としてまれにスチーブンス・ジョンソン症候群(以下「SJ症候群」という。)が現れることがあり、その結果として失明に至ることもある。その添付文書には、使用上の注意の副作用の項において、「(1) 過敏症 ときに猩紅熱様・麻疹様・中毒疹様発疹などの過敏症状があらわれることがあるので、このような場合には、投与を中止すること。(2) 皮膚 まれにSJ症候群(皮膚粘膜眼症候群)、Lyell症候群(中毒性表皮壊死症)があらわれることがあるので、観察を十分に行い、このような症状があらわれた場合には、投与を中止すること」との記載がされている。
4 浅田病院退院後の経過及び眼障害の発生
(一) 原告は、昭和六一年四月二一日、浅田病院の医師の判断により、同病院を退院して、賀茂病院に転院した。
しかし、その後も、原告については、皮膚症状が悪化したほか、同月二四日からは眼脂の多量の分泌等の眼症状も現れるなど、全身症状も悪化したため、同病院の医師は、同月二八日、原告を同病院から国立呉病院(以下「呉病院」という。)に転院させて以後の治療を受けさせた。
(二) 原告は、昭和六一年四月二八日から平成二年二月二〇日まで呉病院に入院した。この間、角膜潰瘍の進行により、相次いで両眼の角膜穿孔を起こすなど、原告の眼症状は更に悪化し、これらの治療のため、二回右結膜被覆術、四回左結膜被覆術、一回上眼眼瞼内反症術の各手術を受けた。更に、平成元年中に約六か月、平成二年五月に三週間、大阪大学医学部附属病院眼科に入院し、治療を受けた。
(三) 原告は、平成元年一一月三〇日に眼障害による視覚障害三級の身体障害者手帳の交付を受け、平成二年七月七日には右等級は一級に更新された。
現在、原告の精神症状は回復しているが、視力は、右眼が光覚、左眼が0.01(矯正不能)である。
5 被告会社の製造・販売する向精神薬の副作用とその警告内容
(一) 浅田病院において原告に投与された向精神薬のうち、アネキトンは、塩酸ビペリデンという一般名称を有する被告大日本製薬の製造・販売する医薬品(抗パーキンソン剤)である。
アネキトンは、副作用としてときに発疹などの症状が現れることがあり、その添付文書には、「ときに発疹などの症状が現れることがあるので、このような場合には投与を中止すること」との記載がされている。
(二) 同じくテグレトールは、カルバマゼピンという一般名称を有する被告チバガイギーの製造・販売する医薬品(向精神作用性てんかん治療剤)である。
テグレトールは、副作用としてまれにSJ症候群が現れることがあり、その結果として失明に至ることもある。その添付文書には、使用上の注意の副作用の項において、「1 過敏症…猩紅熱様・麻疹様・中毒疹様発疹等の過敏症状又は光線過敏症があらわれた場合には、投与を中止すること。2 皮膚…まれにSJ症候群(皮膚粘膜眼症候群)、Lyell症候群(中毒性表皮壊死症)、SLE様症状(発熱、紅斑、筋肉痛、関節炎、関節痛、リンパ節腫脹、胸部痛等)、剥脱性皮膚炎があらわれることがあるので、観察を十分に行い、このような症状があらわれた場合には、投与を中止すること」との記載がされている。
(以上、甲一、八、九、一五、一七、二五、三七、乙一ないし八、丁一、戊一、二。なお、原告が賀茂病院及び呉病院に入院した時期及び期間については、原告と被告浅田らと及び被告チバガイギーとの間では争いがなく、被告大日本製薬との間では同被告が明らかに争わないので、自白したものとみなす。)
第三 本件の争点及び争点に関する当事者の主張
一 本件の争点
1 向精神薬の投与と眼障害との因果関係
原告に生じた眼障害が、浅田病院で投与された向精神薬の副作用によるものであるかどうか。
2 眼障害の原因となった向精神薬の特定
向精神薬が眼障害の原因であるとすると、それは、被告大日本製薬の製造・販売するアネキトンあるいは被告チバガイギーの製造・販売するテグレトールであるか、それとも他の薬剤であるか。
3 浅田病院の医師の治療上の過失ないし不完全履行
浅田病院の医師には、原告に対する向精神薬の投与に過失ないし治療上の不完全履行があったかどうか。すなわち、同医師の原告に対する向精神薬の選択、投与の開始、投与量、投与期間、投与の中止の判断は、原告の精神症状及び副作用の徴候等からみて相当であったといえるか。
4 被告大日本製薬及び同チバガイギーの過失
被告大日本製薬にはアネキトンについて、同チバガイギーにはテグレトールについて、それぞれ、副作用の調査・警告義務を怠った過失があるか。
5 原告の被った損害
被告らの不法行為(浅田病院の医師については債務不履行も主張)によって、原告に生じた損害は、どう認定できるか。
二 各争点に関する当事者の主張
1 向精神薬の投与と眼障害との因果関係
(一) 原告
(1) 原告の被った眼障害の原因は、浅田病院の医師が投与した向精神薬の副作用として生じたSJ症候群による角膜潰瘍・角膜穿孔である。
(2) 賀茂病院及び呉病院における医師の原告の眼症状に対する治療に過失はないし、仮に、同医師に多少の不適切な点があったとしても、浅田病院の医師に第一義的責任がある以上、浅田病院の医師の投与した向精神薬の投与と原告の被った眼障害との因果関係は否定されない。
(二) 被告ら
(1) 原告の主張は否認する。
原告の眼障害の原因が、SJ症候群であるとの確たる証明はないし、仮に、SJ症候群であったとしても、SJ症候群の原因は多様であり、浅田病院における向精神薬の投与がその原因であると速断することはできない。
(2) 仮に、浅田病院における向精神薬の投与によって、原告にSJ症候群が発生したとしても、浅田病院退院後の原告の治療を担当した賀茂病院及び呉病院において、原告の眼症状に対する十分な治療が施されていれば、現在の眼障害が後遺症として残ることはなかったから、原告の眼障害は、十分な治療を怠った賀茂病院及び呉病院の医師の過失によるものであって、向精神薬の投与との間に因果関係はない。
2 眼障害の原因となった向精神薬の特定
(一) 原告
原告の眼障害を発症させたSJ症候群の原因となった向精神薬は、浅田病院で投与されたアネキトン、テグレトール、フェノバール、ハルシオン、ニトラゼパム、セルシン(ジアゼパム)等である。
(二) 被告ら
原告の主張は否認する。
仮に、原告の眼障害が薬剤起因であるとしても、原因となった薬剤の特定はできない(被告浅田ら)。原因薬剤がアネキトン(被告大日本製薬)、テグレトール(被告チバガイギー)であることは争う。
3 浅田病院の医師の治療上の過失ないし不完全履行
(一) 原告
浅田病院の医師の向精神薬の選択、投与の開始、投与量、投与期間、投与の中止等の判断は、原告の精神症状及び副作用の徴候等からみて相当でなく、浅田病院の医師には、向精神薬の投与について過失ないし診療契約上の注意義務違反がある。すなわち、
(1) 原告の症状からすれば、当初の治療としては、まず、即効性催眠剤と向精神薬(単剤)の併用を試みるべきであるのに、浅田病院の医師は、前記のとおり入院直後から六ないし八種類もの多種類の向精神薬を長期間併用して、薬疹ひいてSJ症候群を発症させた。また、テグレトールは抗てんかん剤であって、原告の症状には適応はないのに、敢えてこれを投与した。更に、原告の症状が改善に向かっている昭和六一年三月六日以降の段階において、フェノバール、テグレトール、ハロペリドールを増量投与したのも不適切であり、これらは、薬剤の使用方法の過失ないし診療契約上の注意義務違反というべきである。
(2) 原告の皮疹は、昭和六一年二月下旬か三月始めには発生していたのであるから、浅田病院の医師は、薬疹の発生後直ちにこれを発見して被疑薬の投与を中止すべきであった。
しかるに、原告に対する観察が不十分であったため、その発見が遅れ、同年三月二〇日に至って漸くこれに気付いた。同医師としては、右を認識した同日には、被疑薬全部の投与を中止すべきであり、遅くとも、原告の精神状態が安定する一方で、口角炎などの粘膜皮膚症状が悪化してきた同年四月七日の段階では被疑薬の投与を全面中止すべきであったのに、同年三月二〇日には前記テグレトールのみを中止したのみで、他の薬剤の投与を継続し、同年四月一五日にはアネキトンを除く他の向精神薬の投与は中止したが、アネキトンの投与は同月一八日まで行われた。この間、薬疹に対する治療は、殆ど施されていない。
(3) また、原告の精神症状は、心因性のもうろう状態と診断されるから、その治療は、家族との面会等によって心因に働きかけ、その原因を取り除くことが必要であるのに、浅田病院の医師は、入院後一か月間家族との面会を禁止した上、その必要もないのに、入院直後から原告を保護室に隔離して、四肢を拘束する等、長期間にわたって不適切な精神科的治療を継続し、そのため、精神症状の回復を遅らせ、薬剤投与の期間を長期化させた結果、SJ症候群を発症させた。
(二) 被告浅田ら
原告の主張は否認する。
浅田病院の医師による向精神薬の選択、投与の開始、投与量、投与期間、投与の中止の判断は、原告の精神症状及び副作用の徴候等に照らして医師の裁量の範囲内に属する相当なものであって、これらの措置について浅田病院の医師に過失ないし診療契約上の義務違反はない。
また、浅田病院の医師による原告の精神症状に対するそのほかの治療にも、医師の裁量の範囲を超える不適切な点はないから、この点が、被疑薬の投与の相当性の判断を左右することはない。すなわち、
(1) 原告にみられた精神症状は、多岐にわたり、かつ、その程度においても激しいものであったから、このような精神症状に対しては、抗精神病薬、抗不安剤、催眠薬、鎮静剤、興奮抑制剤、抗副作用薬等を選択し、複数剤使用することが必要なのであって、単剤投与で足りるものではない。そして、原告が問題としている向精神薬は、いずれも原告の症状に適応があり、その投与量等も、精神科医療においては、原告の当時の症状に応じた常識的・一般的なものである。テグレトールは、一般的には抗てんかん剤であるが、抗精神病薬効果をも有することが知られており、原告の興奮・不穏状態を鎮静させる目的で投与することはなんら問題とされるべきことではない。
(2) 原告の発疹は、浅田病院の医師が気付いた昭和六一年三月二〇日に初めて発生したものである。原告の発疹に気が付いた浅田病院の医師は、発疹の原因として当初最も疑われた薬剤であるテグレトールの投与を同日中止した。当時の原告の精神症状は、その具体的症状との関係において、向精神薬の投与を中止できるような状態ではなく、副作用の徴候の程度等をも判断に入れると、テグレトール以外の薬剤の投与を継続したことは、医師の裁量の範囲内に属する相当な判断である。また、発疹に対する治療も適切に施されている。そして、浅田病院の医師は、同年四月一五日に原告の全身状態が突然悪化したため、薬疹との関係を慎重に配慮して、具体的症状に対する適切な措置を施し、更に、その後同月一八日には内服薬の投与を全面中止している。これらの向精神薬の投与の中止の時期の判断にも不当な点はない。
(3) 原告の示した精神症状は、重大であり、閉鎖病棟に収容すべき患者のなかでも、特に看護困難な例であった。したがって、原告の具体的精神症状に応じて、閉鎖病棟に収容する等した医師の判断に過誤はない。
4 被告大日本製薬及び同チバガイギーの過失
(一) 原告
被告大日本製薬及び被告チバガイギーは、それぞれの製造・販売に係るアネキトン(被告大日本製薬)又はテグレトール(被告チバガイギー)について、副作用として薬疹を生じ、場合によれば、失明に至ることもあるにもかかわらず、その副作用について追跡調査を十分にせず、その添付文書に前記のとおりに記載しただけで、その発疹による副作用が時に失明にまで至る重篤なものを含むことについて十分な注意書きをしていなかったものであって、医薬品を製造・販売するものとして、副作用の調査・警告義務を怠った過失がある。
(二) 被告大日本製薬
原告の主張は否認する。
(三) 被告チバガイギー
原告の主張は否認する。
被告チバガイギーは、テグレトールの添付文書において、前記のとおりの内容の副作用に対する警告を行っており、SJ症候群がときに失明などの重い後遺症を伴う疾患であることは、医師・薬剤師など通常医薬品を用いる者であれば、一般的に有しているはずの医学・薬学上の知識に属することがらであるから、右の副作用の警告内容は十分なものであり、副作用の調査・警告義務を怠った過失はない。
5 原告の被った損害
原告は、被告浅田清子、同大日本製薬及び同チバガイギーに対しては、以下の損害合計一億七六〇〇万円の内金である一億三〇〇〇万円とこれに対する原告の浅田病院退院の日である昭和六一年四月二一日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を連帯して支払うことを求め、死亡した成也医師の相続人である被告柏崎るみ子及び同浅田護に対しては、これらの被告の相続分に応じて、一億三〇〇〇万円の四分の一ずつである三二五〇万円とこれに対する前同日から完済に至るまで前同率による遅延損害金を他の三名の被告らと連帯して支払うことを求める。
(一) 原告
(1) 逸失利益 九〇〇〇万円
原告は、本件診療当時、一九歳であったが、前記の眼障害により、現在ほぼ失明状態となり、労働能力を完全に失った。したがって、原告の被った逸失利益相当の損害は、成人男子の全年齢平均年収三八九万〇四〇〇円に対して、就労可能期間四八年間のホフマン係数24.126を乗じて算定すると、九〇〇〇万円を下回らない。
なお、原告は、浅田病院入院時、右眼の視力は矯正視力で0.9程度あったから、逸失利益の算定に当たり、通常の算定方法を採ることに問題はない。
(2) 慰藉料 三〇〇〇万円
(3) 介護費用 四六〇〇万円
原告は日常の介護を必要とする状態であり、その費用は、一日四〇〇〇円が相当である。浅田病院を退院した昭和六一年四月二一日から原告の平均余命である七六歳までの介護費用は、四六〇〇万円を下回らない。
(4) 弁護士費用 一〇〇〇万円
(二) 被告ら
原告の主張は争う。
特に、原告は、浅田病院入院時において、右眼の視力はほとんど欠落し、矯正視力も出ない視力障害の状態にあったから、通常人と同様の方法による損害額の算定は不当である。
第四 当裁判所の判断
一 争点に関連する付加的事実認定
証拠(甲三〜九、一四〜一七、二〇、二一、二三、二六〜二八、三一〜三三、三八、四二、四三、乙一〜八、一二〜一四、一五、一九、丁二〜九、戊一、二、一四、証人森本忠雄、同秋田博孝、同川手克子、同川合仁、同小川剛史、同木村進匡、同宮永嘉隆、原告及び被告浅田清子各本人)を総合すると、前記の事実のほか、以下の事実が認められる。
1 原告の眼障害発生に至る経過
(一) 原告の発病から初診時までの症状
(1) 原告は、幼児期に交通事故に遭って四〇日間も意識不明の状態が続いたことなどがあって精神発達が必ずしも十分でなく、そのためもあってか、中学校卒業以来、これといった定職に就くこともできないまま、前記のとおり昭和六〇年七月、自衛隊に入隊したが、所定の教育課程を終えた昭和六一年一月末頃から、間近に迫った新部隊への配属に対する不安等職場への不適応を主な契機として、心因性のもうろう状態に陥った。発病時の原告の主な症状は、睡眠障害、シャツを破るなど落ち着きのない不穏な行動、まとまりのない独語等であった。発病以来一〇日余り部隊内で看護を受けた後、原告は、同年二月七日、上官に付き添われて浅田病院外来に受診した。
(2) 成也医師は、同日、上官から発病時の症状を聴き取り、原告を診察した結果、診察に対しては刺激的に反応するばかりで、現実的な対応がほとんどできず、落ち着きのない不穏な行動に終始したが、見当識がすべて障害されているわけではなく、当意即答的に周囲の刺激に反応し独語を持続する等の行動をとることから、原告をヒステリー性のもうろう状態と診断した。そして、当日は、原告の母親が同行しておらず、入院措置をとることができなかったため、暫く経過を観察することとし、一週間後に再度来院するように指示した上、前記のとおり一週間分の向精神薬を処方した(別表参照。)。
(二) 浅田病院入院後の精神症状の経過等
(1) しかし、原告の症状は一向に改善されず、不穏な行動に目を離せない状況であり、自衛隊内での処遇は限界に達したとして、同年二月一二日、原告は、一週間の経過を待つことなく、上官及び母親に付き添われて浅田病院に来院した。
原告の症状は、睡眠障害、食欲不振等があるとのことであったほか当意即答な態度等に基本的な変化はないものの、初診時より不穏な行動をとる傾向が進行しており、また、幼児化(退行)、不潔化の傾向もあり、目の離せない状態であったため、前記のとおり、母親の同意を得て、即日入院措置をとった。
(2) 再診時以後浅田病院入院中の原告の精神状態を示す主要な徴候は、別紙「原告の精神症状及び問題行動」(証人木村進匡が、意見書[乙一五]作成に当たり、乙二、三、五、六号証の記載から原告の問題行動を摘示したもの。)のとおりであり、精神症状の程度に波は見られるものの、もうろう状態での徘徊、看護者の指示に対する不服従、不穏・奇矯な行動、シーツやラバーシーツを食いちぎる等の暴行行為、大声や奇声、独語を発する等の行動を繰り返した。
(3) 成也医師及び清子医師は、このような原告の精神症状に鑑み、事故防止及び原告の身体保護の必要から、入院当日(二月一二日)から同年三月一五日朝まで、同月一七日午後から同月一九日まで、同月二二日夜から同年四月一〇日までの三回にわたって、原告を保護室に収容する措置をとった。
そして、この間、同年二月一二日から同年三月一日までは、原告の精神症状が不穏であるとして、原則として保護室内においても原告に対して保護帯を使用して四肢を拘束した(もっとも、二月一四日、一九日、二〇日、二一日及び二七日には、短時間拘束を解いて様子を観察したが、原告の行動がやはり不穏であったため、その都度、拘束が再開される結果となった。)。
同年三月二日からは、原則として、原告に対する四肢拘束を解いて保護室内で過ごさせ、同月八日からは比較的不穏な行動は見られなくなったので、昼間は保護室から解放し、夕方以降のみ保護室に収容するようになった。しかし、なお、落着きのない行動や大声、奇声、独語等の不穏な行動は、基本的には持続しており、同月一五日朝から一七日まで及び三月二〇日から二二日まで、いずれも一旦は一般病棟に移してみたものの、前記のとおり、再び保護室に収容し、その後も数回一般病棟に移すことを試みたが、いずれも不穏な行動を示したために短時間で保護室に戻すことになった。
同月二九日以後は比較的安定した状態になってきたものの、同年四月四日には再び落ち着きのない行動を示すようになったため、同日以降は保護室での時間が比較的長くなったが、同月七日からは再び精神症状が安定してきたため、夜間のみ保護室で過ごすようになった。
そして、同月一一日からは一日中一般病棟で看護を受けるようになり、そのまま同月二一日の退院までは、安定した精神状態で推移し、退院時には病識は欠いていたものの、精神症状は軽快した状態にあった。
その間、原告の母親は、同年三月一一日から、同月一八日、二五日、四月八日、一五日と原告に面会している(なお、三月一一日の面会については、浅田病院側の記録には記載がないが、原告の母親の、入院後一か月位は面会できないとの清子医師の説明を聞き、原告との面会を待ちかねており、勤務先が休日である同日に病院に出向いて面会したという供述が信用できる。)。
(三) 入院後の原告に対する薬剤投与と皮疹の発生
(1) 浅田病院入院中(昭和六一年四月一五日まで)に原告に投与された向精神薬は、別表記載のとおりである(同年二月一二日から同月一九日[正確には二〇日朝まで]は注射により、同月二〇日からは内服による。)。
右によると、アネキトンは、同年二月一二日から同月二〇日朝まで(一日三回、一アンプル注射)及び同月二四日から同年四月一五日まで(二月二四日から一日六ミリグラム、二月二七日から一日三ミリグラム、三月二九日から一日二ミリグラム、四月八日から同月一五日まで一日一ミリグラム)投与されている。
また、テグレトールは、同年二月二七日から一日当たり三〇〇ミリグラム(二〇〇ミリグラム錠半分を三回)の、同年三月一一日から一日当たり六〇〇ミリグラム(二〇〇ミリグラム錠を一錠ずつ三回)の投与がされてきたが、後記のとおり同月二〇日に投与が中止された(現実に投与されたのは三月一九日までである。)。
フェノバールは、次のように投与されたが、同年四月一五日に投与中止となった(現実に投与されたのは四月一四日までである。)。すなわち、入院当日の同年二月一二日から二日間、一〇パーセント注射液一アンプル、同月二四日から毎日就寝前に一錠(三〇ミリグラム)、同年三月六日からは就寝前一錠のほか朝夕一錠ずつ(合計九〇ミリグラム)、同月一一日からは就寝前二錠(六〇ミリグラム)、同月二九日からは就寝前二錠のほか朝夕一錠ずつ(合計一二〇ミリグラム)、同年四月八日からは夕食後一錠、就寝前二錠(合計九〇ミリグラム)である。
(2) 原告は、同年三月半ば頃から、顔面の発赤、手足の発疹を生じていたが、当初、浅田病院の医師は、特別の問題はないものと判断して、これに対する特段の対応をしていなかった。
しかし、担当看護婦は、同年三月二〇日朝の検診時に、原告の身体全体の発赤を認め、直ちに清子医師の診察を仰いだ。清子医師は、原告に発疹の出現と手掌の腫脹を認めて、原告に発疹の発現時期を尋ねている(このことは、同医師の診察当時の原告の発疹の症状が、当日突然発症したものではなく、ある程度以前から発生したものと疑われるものであったことを推認させる。)。
清子医師は、これまでの浅田病院における臨床において、テグレトールによる薬疹の発生を比較的多く経験していたことから、原告に生じた症状は薬疹である可能性があり、かつ、原告に投与された薬剤のうちでは、その原因としてテグレトールが最も疑わしいと判断して、同日以降テグレトールの投与を中止することとし、その代替薬としてヒルナミンを増量し(五〇ミリグラムから二〇〇ミリグラムに)、皮膚症状に対してはグルタチオン(強肝解毒剤)の投与を開始した(この投与は四月一五日まで継続した。)。
翌日も全身の湿疹が見られるなど、その後も原告の皮膚症状は特に変化なく推移したが、同年三月二八日の成也医師の診察の際には、湿疹のほかに口角炎が認められたため、同日からビスラーゼ(ビタミン剤)の投与が開始された(四月一五日まで)。他方で、同じ三月二八日には、突然大声をあげて保護室に収容されるなど不穏な症状が認められたことから、翌二九日の処方から、前記のとおり、フェノバールを二錠から四錠(就寝前二錠のほか朝夕各一錠)に増量したほか、ジアゼパム及びブロトポンの投与を新たに開始した。
その後、同年四月七日の成也医師の診察時には、両側の口角びらん、両手の皮膚炎が認められたが、精神症状は前記のように落ち着いてきたため、翌八日の処方からは、フェノバール、ヒルナミン、アネキトンの処方をそれぞれ減量した。
(3) ところが、同月八日には、両手指皮の剥離が目立つようになり、同月九日には、両側の口角炎が持続しているほか、顔面の発赤、両手背部の皮膚がむけるなど、皮膚粘膜症状が悪化したため、清子医師の診察を受けた。しかし、その後も皮膚粘膜症状は改善せず、更に、同月一三日からはチアノーゼ様、悪寒の症状も加わり、同月一五日には、三八度を超える発熱があり、全身が紫斑様を呈し、しかも、全身に浮腫が、顔面も浮腫様で落屑が、それぞれ認められた。同日、請われて原告を診察した児玉医師(賀茂病院副院長・精神科医)は、このような原告の症状を診て、「薬疹+日光皮膚炎が疑われる」とカルテに記載した上、フェノバールの副作用による薬疹である可能性を疑って、直ちにフェノバールを従来の処方から除くよう指示し、同日から、これらの症状に対する処方として、強力ミノファーゲンC(抗アレルギー・解毒作用剤)、アスピリン(解熱剤)、ポララミン(抗ヒスタミン剤)の投与を開始した。
翌一六日、依頼を受けて原告を診察した久保医師(賀茂病院院長・精神科医)は、発疹が強く出ており、肝臓が二横指触れるとし、「薬疹」とカルテに記載した上、それまでの内服薬の投与中止を指示し、新たな臨時処方として、チオラ(抗ヒスタミン・肝臓解毒作用剤)、トロペリン(抗幻覚作用剤)、アネキトンの投与を命じ、かつ、発疹・高熱に対する治療として、強力ミノファーゲンC、ソリタT3、ビタミンB、メチロン、リンコシン(抗生物質)を処方した。
同月一七日は、更に依頼を受けて、松川医師(長尾病院副院長・精神科医)が原告を診察した。同医師も、発疹が全身にあることを認め、「フェノバルビタールによるものの如し」とカルテに記載し、強力ミノファーゲンC、ソリタT3、ビスラーゼ、グルタチオン(肝臓庇護剤)、リンコシンを処方した。
同月一八日、清子医師は、内服薬に関し全面与薬中止を命じ(したがって、トロペリン等の臨時処方は同月一七日まで投与された。)、以後は、強力ミノファーゲン、抗生物質等が投与された。
このように、同月一五日以降の治療が継続されたが、基本的には三八、九度の高熱が続き、点滴によっても、原告の全身の皮膚症状も改善されなかったこともあり、同月二一日、原告は、精神科医のほか内科医師も勤務していて、より効果的な治療が期待される賀茂病院に転入院した。
なお、浅田病院入院中においては、原告について、眼障害の発生は格別認められていなかった。
(四) 眼障害の発生と症状の固定
(1) 賀茂病院入院時において、原告の精神症状については、なお夜間の不眠、不穏などの症状があったものの、比較的落ち着いていたため、原告は、同病院転院後は、主として、補液、抗生物質、肝庇護剤の投与など薬物副作用と思われる皮膚症状、高熱等に対する治療を中心的に受けた。しかし、原告の高熱は依然として持続し、同年四月二三日には下痢の症状が現れ、以後落屑その他の皮膚症状も悪化し、口唇粘膜のびらん、眼充血、眼脂分泌増加などの眼症状も現れるなど、全身状態は更に悪化した(同月二四日には、「眼脂多量」との臨床所見が認められ、これに対してクロマイ点眼薬が施されているから、同日には眼障害が認識される状態になっていた。)。
賀茂病院においては、原告の症状につき、薬疹を疑ったほか、転院時に実施した血液検査の結果、異型リンパ球が検出されたことなどから伝染性単核症の疑いもあると判断していた。転院後しばらくすると、原告の精神症状は不穏となることもなくなったが、全身状態の改善がみられなかったことから、賀茂病院で原告をこれ以上管理することは困難であると判断され、同月二八日、呉病院(総合病院)に原告を転院させた。賀茂病院の医師の転院時における診断は、伝染性単核症の疑い及び精神発達遅滞であった。
なお、同病院においては、その後、伝染性単核症の原因ウイルス(EBウイルス)に対する抗体価に関する検査結果を検討した結果、原告に対する伝染性単核症の疑いとの前記診断を否定する結論を出している。
(2) 呉病院入院時の原告の症状としては、格別の精神症状はなく、全身症状として、ほぼ全身に発赤、落屑、皮膚の脆弱性が見られ、体温は39.5度もあり、両眼に角膜潰瘍及び混濁が認められた。
呉病院では、転院時に実施した検査では異型リンパ球が検出されなかったことなどから、伝染性単核症を疑う根拠は薄く、むしろ、原告の症状は薬剤の副作用に起因するものであろうと疑い、アレルギー除去のための副腎皮質ホルモン剤、ビタミン剤等の投与が行われた。
同年五月一日からは、眼科医が原告を診察し、右眼の角膜穿孔、左眼の角膜潰瘍を認め、エコリシン(抗生剤)眼軟膏の塗布を始めた。五月一三日には、左眼にも角膜穿孔を起こした。
以後、原告は、解熱傾向を示し、皮膚状態は完全に向かったが、原告の眼症状は、角膜穿孔によりほぼ失明状態となり、その後、前記の経過をたどって、現在では、右眼視力光覚、左眼0.01(矯正不能)の視覚障害が後遺症として残っている状況である。
2 原告の眼障害の原因について
(一) 一般的に説かれているところによると、SJ症候群なる疾患は、多種類の原因(薬物又は細菌、ウイルス等の微生物)によって発症する全身性の反応性皮膚粘膜症、すなわち、口腔粘膜、陰部、外眼部に炎症症状を伴う熱性発疹症であり、多形滲出性紅斑症候群の一重症形である。そして、病理学的には、真皮上層に血管周囲性細胞滲潤があり、アレルギー反応3型、すなわち、免疫複合体による血管炎とも考えられ、表皮壊死があり、浮腫も著明で水疱が多発する。臨床症状は、一般的に急激であり、多少の違和感を伴うこともあるが、明らかな前駆症状もなく発熱し、発熱に続いて皮膚粘膜疹及び眼病変が出現する。紅斑や水疱は、全身に見られ、眼科的には偽膜を伴う激しい結膜炎、角膜潰瘍、眼瞼浮腫などが見られる。したがって、原因不明の発熱、皮膚粘膜の発疹、水疱、壊死、眼症状を伴う多形滲出性紅斑症候群が、その診断基準ということになる。
(二) SJ症候群の原因の多くは不明であり、その五〇パーセントが原因不明であるといわれるが、想定される原因としては、薬剤(特に、抗菌薬、スルフォマイド、フェニールブタゾン、抗てんかん剤、バルビツレート等)が考えられるし、他の原因としては、微生物、特に細菌(黄色ブドウ球菌、溶血性連鎖球菌等)、ウイルス(ヘルペス属ウイルス、アデノウイルス等)、マイコプラズマ等が基盤となり、過敏体質、自己免疫反応の機序が働くと考えられるという。
(三) 原告は、前記のような臨床症状からみて、昭和六一年四月一五日以降、特に、同月二四日以降、SJ症候群に罹患していたものであり、これに由来する眼障害が昂じて、現在の前記失明状態に至ったものである(前記の認定事実から摘出される原告の症状においては、SJ症候群に特徴的な高熱の発生、皮膚、眼及び粘膜の症状の発生が全て認められ、また、これらの症状の発生あるいは急激な増悪が高熱の発生とほぼ時期を同じくして起こっていることが明らかである。そして、この原告の臨床症状を前記の診断基準に当てはめると、おおむね適合するものということができる。なお、原告の症状が、伝染性単核症に由来するとの診断が本件の臨床において否定されていることは前記のとおりであり、それにもかかわらず、現段階において右診断を採用すべきものとする的確な証拠は見当たらない。むしろ、原告の症状がSJ症候群と診断されるものであることについては、その診断可能時期については見解の相違がみられるものの、本件に関与した医師の大方の共通理解であるとみることができる。当裁判所の以上の認定は、主として、証人宮永嘉隆の証言と同人作成の意見書[乙一二]による。)。
二 向精神薬の投与と眼障害との因果関係
1 訴訟上の因果関係の立証は、いわゆる自然科学的証明でなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来したという関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挾まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを要し、かつ、それをもって足りるものとされている。
2 右の観点から、本件をみると、SJ症候群について、薬剤以外の原因として指摘される微生物(細菌・ウイルス等)については、抽象的レベルにおいては、そのようなものも想定されないではないが、全証拠を検討しても、本件の具体的事実関係の下において、特定の微生物が原告に発症した特定のSJ症候群の原因となったことについては、その蓋然性の存在すら窺わせるものは見当たらない。
また、SJ症候群の原因の多くは不明のままであるとしても、その原因となり得るとされている薬剤が浅田病院において投与されていることが明らかな本件にあっては、その具体的な検討を抜きにして、安易にそのような結論に至ることは避けなければならない。
3 そこで、浅田病院において投与された向精神薬の本件SJ症候群の起因性の有無について検討する。
(一) 前掲各証拠によれば、原告に投与された薬剤のうち、テグレトール及びフェノバールは、まれにSJ症候群を引き起こすことが広く知られており、また、本件においては、それら薬剤の投与量は、いずれも投与を受ける患者によってはSJ症候群を引き起こすおそれが十分ある量であることが明らかである。
しかし、それ以外の薬剤については、一般的な薬疹等の副作用の存在は知られているが、SJ症候群のような重い副作用の報告がされていないことが認められる。
特に、被告大日本製薬の製造・販売に係るアネキトンについては、抗パーキンソン剤として臨床上広く使用されてきた歴史のある薬剤であって、その投与がSJ症候群のような重篤な結果を招来した報告は全くなく、本件において意見書を提出し、これにつき補足的証言をした各証人(川合仁、宮永嘉隆)も、アネキトンを被疑薬として掲げることすらしていないことからして、その投与と本件SJ症候群との間の因果関係は否定すべきである。
また、その余の薬剤(原告は、ハルシオン、ニトラゼパム、ジアゼパムを、宮永意見書は、そのほかピレチア、ヒルナミン、ハロペリドールを挙げる。)は、理論上、抽象的には本件SJ症候群の関係を否定しきれないというにとどまり、これを肯定するに足る積極的な証拠はなんら提出されていないから、前記の訴訟上の因果関係の観点からは、本件SJ症候群との間の因果関係を肯定することはできないものというべきである。
(二) 浅田病院において、原告に対してテグレトール及びフェノバールを投与した状況は、前記のとおりである。
そして、前記の各証拠によると、薬剤の副作用については、一般に、原因薬剤を除去すれば、症状が軽快することが多く、また、副作用が発生した時期の一、二週間前から投与された薬剤がその原因として最も疑わしいとされているものであるところ、本件においては、テグレトールは、原告の全身症状が急激に悪化した四月一三日ないし一五日から二週間以上も前の昭和六一年三月二〇日にその投与が中止されている(現実の投与は同月一九日まで)こと、他方、SJ症候群の原因となり得る薬剤として知られるフェノバールは、右のような全身症状急変のほぼ二週間前である同月二九日に二倍(六〇ミリグラムから一二〇ミリグラム)に増量して投与されていることが、それぞれ認められること前記のとおりである。本件SJ症候群につき、薬剤による副作用以外の原因の存在、薬剤起因としても、テグレトール及びフェノバール以外の原因薬剤については、いずれも理論上の可能性という以上に具体的な根拠をもって疑うことのできる事情の存在しないことは、前記のとおりである。
以上の事実関係を総合すると、原告のSJ症候群の症状の一つとしての眼症状は、その投与中止の時期との関係からみて、被告チバガイギーの製造・販売にかかるテグレトールによって発生したものと推認することはできず(川合意見書[甲二六]も、四月七日以降の症状との関係では、テグレトールが原因である可能性は薄らぐことを肯定している。)、むしろ、その投与(増量)の時期との関連において、フェノバールの副作用を原因として発症したものと推認するのが相当である。
4 以上のとおりであるから、原告の被告大日本製薬及び同チバガイギーに対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないものというべきである。
三 浅田病院の医師の治療上の過失ないし不完全履行について
1 フェノバール投与の相当性について
前記のとおり、原告に発症した眼障害は、浅田病院の医師によって投与されたフェノバールの副作用によって生じたものと推認されるから、まず、このフェノバール投与の相当性について判断する。
(一) フェノバールの選択と投与量
前記認定のとおり、原告は心因性のもうろう状態を主症状としていたが、睡眠障害も強く、精神症状の激しさの程度に波はみられるものの、不穏・奇矯な行動、看護者等への反抗的な行動、病院の備品を破棄する等の暴行行為、大声・奇声・独語等の行為を継続していたのである。
前掲各証拠によれば、フェノバールには、催眠作用のほかに鎮静作用も強く、原告のような精神症状を示す患者に対しては臨床上しばしば用いられる薬剤であり、その投与の量も臨床上用いられる分量として合理的範囲内に納まっているものと判断される。そして、更に、本件の程度にフェノバールを継続して投与することや、薬疹が発生することがあることは、臨床上必ずしも稀ではなく、しばしば経験することであるが、SJ症候群のような重い副作用の発生は、フェノバールを継続多量に投与している場合であっても決して多いものではなく、むしろ、通常の開業医が臨床の場で経験することは殆どないほど稀であることが認められることからすると、原告に対して投与されたフェノバールの投与開始時期及び投与の量が、原告の精神症状の動静を総合的にみた場合において、医師の合理的な裁量の範囲を超える違法なものであると判断することはできないというべきである。
(二) フェノバールの投与中止時期等の判断の相当性
原告は、薬疹の発生した昭和六一年三月初め頃、あるいは清子医師が薬疹に気がついた同月二〇日、更には、遅くとも精神症状が安定する一方で薬疹の症状の継続、悪化がみられた四月七日の時点においては、フェノバールの投与を中止すべきであり、また、同年三月二九日の増量投与は不適切であった、と主張する。
(1) しかし、前記認定事実によれば、原告は、同年三月半ば頃から顔面等に発疹を生じていたところ、同月二〇日朝の検診時に身体全身の発赤を清子医師が認めたものである。そして、前掲認定事実及び各証拠によれば、同月二〇日の時点においても、原告の精神症状は、一般病棟での処遇をたびたび試みられながらも、そのたびに不穏な行動等により再三保護室に収容されるといったことを繰り返していた状況であって、これらの原告の行動等は、不測の事態の発生の防止及び本人の保護等の必要性の観点からみて決して軽視できないものであることは明らかである。しかも、入院後既に一か月以上が経過しているのにかかわらず、なお、このような症状が継続しているということ自体、原告の精神症状が相当に重症であることを裏付けるものであり、そうであるとすれば、このような精神症状の継続は、原告に対する治療の必要性やその方法の判断においても重視されざるを得ないと考えられるのである。
これに対して、薬疹の発生は、向精神薬の投与に際して必ずしも稀ではなく、かつ、薬疹の発生自体は、極めて稀に起こる重い副作用であるSJ症候群の発生を推測させる徴候であるとは必ずしもいえないこと、清子医師は、原告の薬疹に気がついた同月二〇日、自身の臨床経験からみて、原告に投与されている向精神薬のうちで最も薬疹の頻度の高いテグレトールの投与を中止して薬疹の経過の観察を始めていること、フェノバールには、不安の除去、鎮静作用などの効能のあることが一般的に承認されており、前記の程度の量を投与することにより、原告の前記の不穏な行動等を抑制する効果を期待することには合理性が認められることが、前記の各証拠により認められる。
右事実によれば、浅田病院の医師において、同年三月半ばないし同月二〇日の時点で直ちにフェノバールの投与を中止しなかったことが、医師の裁量の範囲を超えるものということはできない。
(2) 次に、同年三月二九日からフェノバールが二倍に増量投与されていることは前記のとおりであるが、これも前記認定のように、同月一五日にテグレトールの投与が中止されたことに伴い、向精神薬の処方を変更していたところ、同月二八日に原告が突然大声で奇声を発するなど、入院治療が長期化しているにもかかわらず、一向に原告の不穏な行動が治まらないことなどに対処するために行われたものと認めることができるから、これをもって、医師に委ねられた裁量の範囲を逸脱するものというべきではない。
(3) 前記の認定事実によれば、同年三月二九日のフェノバールの増量以後は、原告の不穏な行動も見られなくなり、徐々に精神症状は安定に向かっているということができ、特に同年四月七日以降は精神症状の安定がみられたのであるが、それ以前の同月四日以降にも落ち着きのない不穏行動が続いていたのである。
したがって、原告の精神症状を事後的にみれば、同月七日の時点で既に安定していたということができるとしても、そのような判断は、結果論としていえることであって、当該時点において、それが可能であったと即断することはできないものというべきである。すなわち、向精神薬の処方の変更等の判断は、基本的にはそれまでの精神症状の経過や治療内容及びこれに対応する患者の症状の変化の態様など、主としてその時点までに判明している情報を基礎として行われるものであるところ、前記の原告の精神症状の変化をみれば、同月七日の段階において既に症状が安定していると、たやすく断定できるものでないことは明らかというべきである。そして、向精神薬の投与を中止するためには、精神症状の推移に当該薬剤の果たしている効果、更には、投与を中止する反作用として患者に生じ得る症状の変化等(このような変化は、その性質上予測することが非常に困難であり、場合によっては、症状をかえって増悪させ、回復しがたい精神障害を残す結果となることが、前記証拠により認められる。)に対する慎重な配慮も必要であって、同月七日以降の時点における原告の精神症状の安定には、同年三月二九日のフェノバールの増量が寄与している可能性をも考慮に入れる必要があること、更には、同年四月七日以降の時点における原告の皮膚症状がSJ症候群のような重い副作用の発生を推測させる徴候であることを裏付ける証拠はないこと、などの事実関係を総合すると、フェノバールを増量してから約一週間しか経過しておらず、精神症状の安定していると確実に判断できるほどの症状の経過があるとはいえない同月七日の段階において、フェノバールの投与を中止しなかった(なお、同月八日から減量していることは前記認定のとおりである。)ことをもって、医師の裁量の範囲を超えるものとまでは断定することはできないものというべきである。
そして、同様の理由により、その後、原告に高熱、全身のチアノーゼ、紫斑様症状の発生等全身状態の悪化の認められた同月一五日までの間、フェノバールの投与を継続した医師の判断にも、裁量の範囲の逸脱があるとすることはできない。
(三) 以上のとおりであって、本件において、フェノバールの投与に関する浅田病院の医師の判断が、医師としての裁量の範囲を超えるものということはできないから、この点において、浅田病院の医師に過失ないし診療契約上の注意義務違反があったということはできない。
2 そのほかの治療の相当性について
原告は、原告の精神症状は心因性のもうろう状態であるから、原告に対する治療としては、家族との面会等によって心因に働きかけ、原因を取り除くとともに、即効性催眠剤と向精神薬(単剤)の併用を試みるべきであるのに、入院後一か月間も家族との面会を禁止し、その間、多種類の向精神薬を長期間併用して薬物療法に依存する不適切な治療を行い、その結果、精神症状の回復を遅らせて薬剤投与の期間が長期化し、SJ症候群を発症させた、また、テグレトールは原告の症状に適応はない、更には、薬疹に対する治療は、殆ど実施されていない、と主張する。
(一) 確かに、前記認定の原告の発病の経過、精神症状の推移、回復状況などの事実関係を基礎とし、他の証拠(とりわけ甲二六[川合意見書]及び乙一五[木村意見書])を総合して判断すれば、原告の精神症状は心因性のもうろう状態と診断され、これに対する治療としては、原因となった不安等の心因を取り除く方向で精神的に働きかけることが有効であり、そのためには、心因を取り除くことができる立場にある者との面会が効果的であること、原告の発病の原因は、結果的にみれば前記のとおり、職場への不適応とこれからくる不安であったと考えられるから、母親等家族との面会によって相当程度心因除去の効果が期待できたと推測することができないではない。
しかし、前掲各証拠によれば、浅田病院における初診時から入院初期にかけての原告の精神症状は、奇異な行動や不穏な行動が目立つなど、極めて重症であったといわざるを得ず、この間、医師、看護者との間の疎通性はもとより、母親との間においても、十分な意思の疎通が可能であったとは到底認められない。したがって、一般的に心因を除去することが治療として必要であるとしても、そもそも何が具体的原因であるのかを把握することは、このように患者と医師との間の意思疎通の不可能な状態にあっては極めて困難であったと判断せざるを得ない(確かに、原告の発病が新部隊への配属と同時期であることは、心因を推測させる契機の一つではあろう。しかし、だからといって、原告のもうろう状態の原因が心因性のものであり、しかも、その心因は職場への不適応であることを推測し、更には家族との面会によってその心因を除去する働きかけが可能である、という治療上の専門的判断が、入院初期の段階から可能であったといえるだけの的確な証拠は見当たらない。)。
(二) また、前記のとおりの不穏な行動を中心とする原告の発病初期の段階の精神症状は、不測の事態の発生の防止及び原告本人の保護等の必要性という合理的な目的を考慮した場合、決して軽視することのできない重大なものであったということができ、この観点からみると、前記の原告に対する保護室収容や四肢拘束などの措置は、その間においても、原告の症状の軽快状況に応じて、その拘束を解いたり、一般病棟へ解放することが随時試みられていること、他方で、入院一か月後からは、保護室に収容されている状況にありながらも、ほぼ毎週母親との面会を許されていることなどからみて、原告の具体的精神症状に対応して弾力的に行われたものと評価することができるのであって、これをもって、医師の医療行為として不合理なものということはできない(証人川合仁の証言及び甲二六は、総じて、原告の精神症状を軽度なものと評価し過ぎている点において、そのまま採用することはできない。)。
(三) そして、原告に対するジアゼパム、ハルシオン、ニトラゼパム、フェノバール、テグレトール、アネキトン等の薬剤の投与は、前記認定のとおりであって、興奮の抑制、不安の除去・鎮静、睡眠障害の除去とこれら薬剤の副作用の防止を主たる目的とするものであり(なお、テグレトールは、抗てんかん剤ではあるが、その鎮静作用に着目し、本件における原告にみられるような精神症状に対しても適応するものとして一般臨床上使用されているものと認められる。)、前記のような原告の不穏な行動等の精神症状の程度やその持続状況等からみて、これらの精神症状を軽減するためにされた右薬剤の投与は、その目的において合理性を認めることができるし、また、投与の方法の点からみても、いずれも前記目的に沿った効能、効果が医学上一般に認められており、多剤を同時期に併用していることも含めて、本件における投与の量、期間等が、一般に臨床的に行われている程度を逸脱しているとまで認めることはできない(この点に関する前記証人川合仁の証言及び甲二六は、証人木村進匡の証言等と対比してみても、向精神薬の投与方法に関し、精神医療の臨床上必ずしも一般的とはいえない方法を基準として、原告に対する投薬方法を批判していると判断される点において、そのまま賛同するのには躊躇される。)。
別表
向精神薬の処方並びに処方変更日と変更内容
薬名 月日
Ⅱ/7
Ⅱ/12
15
20
24
27
Ⅲ/6
11
18
20
29
Ⅳ/8
15
ジアゼパム 2mg
3
ジアゼパム 5mg
3
3
3
ハルシオン 0.5mg
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
ニトラゼパム 5mg
2
1
1
1
1
1
1
1
1
1
フェノバール 30mg
1
1
1
3
2
2
2
4
3
中止
(注)セルシン 10mg
静注
1A×3
×1~3
(不穏時)
(〃)ヒルナミン
筋注
1A×1
×1
(〃)ピレチア
筋注
1A×1
×1
(〃)10%フェノバール
筋注
1A×1
(2日間のみ)
(〃)アキネトン
筋注
1A×3
×1
(当日のみ)
(〃)セレネース
筋注
1A×3
×1
(〃 )
ヒルナミン 25mg
4
2
2
2
2
2
8
5
4
4
デパス 1mg
3
ロヒプノール 2mg
1
ピレチア 25㎎
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
プロトポン 1.5mg
6
3
3
3
3
3
3
アキネトン 1mg
6
3
3
3
3
3
2
1
1
テグレトール 1/2 (100mg)
3
3
テグレトール 200mg
3
3
中止
ケセラン 3mg
3
3
(注)とあるのは注射薬をさす。Aとあるのはアンプルの略、数次は錠剤(内服薬)の錠数をさす。
なお、原告の薬疹に対する治療がされたことは前記のとおり(グルタチオン及びビスラーゼの投与等)であって、これをもって不適切であったとすることはできない。
(四) そうすると、浅田病院における治療について、原告主張の前記の不備があったとすることはできない。
3 以上によれば、原告にフェノバールの副作用によるSJ症候群を発症させたことについて、フェノバールの投与に関する診療上の判断においても、また、そのほかの診療上の判断においても、浅田病院の医師に過失ないし診療契約上の注意義務違反があったということはできない。
したがって、原告の被告浅田らに対する請求は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がないものというべきである。
第五 結論
以上の次第で、原告の本訴請求は、その余の争点について判断するまでもなく、いずれも失当である。
よって、原告の請求をいずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官田中壯太 裁判官稻葉重子 裁判官小林久起は転補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官田中壯太)
別紙「原告の精神症状及び問題行動」<省略>